2012年11月15日

インド哲学悟りの真理① ヤージュニャバルキヤ②

 「私とは認識するものである」という定義を受け入れたならば、同時に

 「私は私自身を認識対象にはできない」という論理的な帰結を受け入れなければならない。

 ここが難解!

 認識するものを認識するには、それをまた、認識するものが必要で、それにはまた、それを認識するものが必要となり、
無限に続いていく。(無限遡行)
 よって、認識するものを認識することはできない。というものです。

 私は決して認識対象にならないのだから、「私は~に非ず」としか言えない。

 哲学的には、私は○○ではないという否定的な言葉でしか記述できない特殊な存在であることが真理なのに
日常的には私は○○であると考えている。この間違った思い込みがこの世のあらゆる不幸を生み出す原因に
なっているのだと考える。

 私の本質(ヤージュニャバルキヤの史上最強の無敵の境地)
  私は不滅のものであり、本質上破壊されないものである。
  私については「に非ず」としか言えない。
  それは捉えることができない。なぜなら捉えようがないからである。
  それは破壊することができない。なぜなら破壊しようがないからである。
  それは執着することができない。なぜなら執着しようがないからである。
  それは束縛されこともなく、動揺することもなく、害されることもない。
  ああ、どうやって認識するものを認識できるであろうか。

 簡単に理解するために、私を「心」や「本音」に変えると理解しやすいかも。(私見)
  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 09:08