2017年04月28日

春の菜園づくり3

 1時間ほどで耕せて、土が柔らかくなっているので、

 畝づくりも土を寄せるだけで完成です。

 雨の翌日にやったので、絶好でした。

 

 

  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:16

2017年04月27日

春の菜園づくり2

 以前から欲しかったガスボンベ式ミニ耕運機を思い切って買いました。

 それを使って耕してみると、快適、快適、

 耕した後の土がふかふかになりました。

 腰痛防止にもなり、もっと

 早くから買うべきでした。

 
  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:15

2017年04月26日

春の菜園づくり1

今年はわけあって、裏庭にフェンスを作ったので、

家庭菜園づくりをやる気満々でした。

雑草を刈って、石灰を撒いて、最初の準備です。


  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:16

2017年04月25日

ホワイトニング➃

 ホワイトニングに興味がある方は、

 まず、4回ホワイトニングをして、歯を白くしてから、

 詰め物や被せものをしてくださいね。

 歯は白くなっても、人工物は白くなりませんので。

 
  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:14

2017年04月24日

ホワイトニング③

 白くなりやすい歯は、  赤、オレンジ、黄色系で、

 なりにくいのは、     黒、青色系です。


 因みに、16歳未満は根が完成していないので、不可となります。

 
  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:13

2017年04月21日

ホワイトニング②

 人は誰でも、1回で真っ白になる期待をしてしまうことと、

 歯の色は素人なので、白くなった事実がよく分からない。

 写真で見比べれば理解ができます。

 そして、週に1回、4回やれば、かなり白さが実感できます。

 
  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:10

2017年04月20日

ホワイトニング①

 先日最新のホワイトニングの講習会へ行ってきました。

 そこで分かったことは、今は、確実に歯は白くなる。

 やればやるだけ、白くなる。

 ということでした。

 


 

   


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:20

2017年04月19日

たまには気持ちのよい写真でも⑥


  


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2017年04月18日

たまには気持ちのよい写真でも⑤


  


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2017年04月17日

たまには気持ちのよい写真でも➃


  


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2017年04月14日

たまには気持ちのよい写真でも③


  


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2017年04月13日

たまには気持ちのよい写真でも②


  


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2017年04月12日

たまには気持ちのよい写真でも①

 
  


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2017年04月11日

日本の医療保険の始まり③

・療養の給付は団体自由選択主義で、都道府県単位とし、保険審査委員をおくとした。
 ・政府管掌分については、人頭請負方式で、日本医師会は1人当たり1年7円42銭7
  毛、歯科医師会は68銭7厘とした。
・各診療報酬点数は、日本歯科医師会健康保険診療報酬点数計算規定として決められ、1点を10銭とする目安で決められた。
 ・昭和2年(1927年)開始から昭和11年(1936年)までの医科(薬価含む)と歯科の比率は10:1~10:1.3で推移していた。

 

  


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2017年04月10日

日本の医療保険の始まり②

・保険料は賃金比例式とする。保険料は事業主と被保険者の折半が原則であるが、被保険者は標準報酬額の100分の3以下の負担ということになっているので、不足分が生じたときは事業主負担をとった。
 ・当初、政府は歯科治療のうち技工部分(補綴)は除くとしていたが、血脇守之助会長率いる日本聯合歯科医師会は「歯科治療は補綴を含めて初めて意味のあるものであって、それを除外するのはおかしい」と意見書を出し、受け入れられた。

 

  


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2017年04月07日

日本の医療保険の始まり①

 大正6年(1917年)ロシア革命、大正7年(1918)米騒動、経済不況などから国民の不安を取り除くためにも社会政策の整備が行われていった。
 大正11年(1922年)健康保険法案要綱が可決公布
 大正12年(1923年)9月関東大震災のために遅れ
 昭和2年(1927年)1月から健康保険法が施行

 

  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:12

2017年04月06日

初期の医療保険制度

 疾病保険は明治30年頃にはアメリカになく、西欧でドイツ、オーストリア、スウェーデンにのみ制度化されていた。昭和の初期では15か国、歯科給付は法定給付7か国、任意給付3か国、補綴給付は日本以外の4か国が任意給付程度であった。

 


   


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2017年04月05日

明治からの近代化

 明治元年(1868年)、明治維新後は積極的な西洋医学の導入が始まった。医科は、オランダ、イギリス、特にドイツを模範に東京大学医学部の基礎を築いた。(その頃、ドイツのエネルギーが充実していたことから、世界でもまだ新しかったビスマルクの疾病保険制度が、後藤新平によって取り入れられた。)歯科は、国策としての教育からではなく、民間の臨床ベースから出発した。開港して間もない横浜にいる外国人を対象として、来日した外国人歯科医師、特にアメリカ人歯科医師から発達した。そして、彼らから歯科技術を学んだ著名人として小幡英之助があげられる。

 明治8年、小幡英之助は第1回目の医術開業試験に「歯科」を専門に試験を申請し合格した。小幡は医籍4号をもって登録された。これは「歯科を専攻する医師として登録された」ということであるが、小幡が西洋歯科医学を専攻した先達であり、「歯科」という語を初めて用いたこともあり、日本で最初の(近代)歯科医師とされている。

  


Posted by 中原歯科医院 院長 at 08:11

2017年04月04日

日本は総義歯の元祖

 日本最古の仏姫(ほとけひめ)の木床義歯(もくしょうぎし)
 日本最古の木床義歯は、天文7年(1538年)4月20日、(時代背景は室町戦国時代で織田信長や豊臣秀吉が生まれた数年後)に74歳で亡くなった和歌山市の願成寺、仏姫(がんじょうじ:ほとけひめ:本名、中岡テイ)という尼僧のものである。この入れ歯は、黄楊(つげ)の木を彫ったもので、歯の部分と一体となっていた。奥歯がすり減っていることから、実際に使われていたと想像できる。 
 日本の木床義歯は、食事をしても落ちないように、歯がない上顎の粘膜に吸いつき保持するようにできており、現在の総入れ歯が顎に吸着する理論と同じである。中国にもこのような技法はなく、まさに、世界に類のない「木の文化」と日本人の手先の器用さによる「独自の木彫技術」であった。仏像を作成する仏師が作ったようだが、日本は総義歯の元祖であると言える。総義歯の総本家の日本としてもっと世界に認められても良さそうだ。


 

 
  


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2017年04月03日

江戸時代中期のヨーロッパの入れ歯

 当時の入れ歯は、現在のように顎の粘膜に吸い付くという原理は全く考えられていなかった。上下の馬蹄型の入れ歯は、バネでつながっており、装着しても不安定であった。上の歯のない人に、フォシャールは下の歯列を取り囲む金属の枠の後方に板バネを付けて、そのバネの力で上の入れ歯を上方に押して落ちないように工夫した。しかし、この板バネ付きの入れ歯は、顎の粘膜を傷つけることが多いので、板バネに代えてラセン状のスプリングをつけるように改良された。
 この方法の入れ歯によって、ヨーロッパの貴婦人たちは口元の美しさを回復した。貴婦人たちは、宴会に出かける時は入れ歯を外して自宅で食事をし、食事が終わると入れ歯をしてサロンでワインを飲み、おしゃべりをしていた。そのため、「サロンの女性は空気を食べている」とか「話の途中で休まないと入れ歯が落ちてくる」と言われていた。

 

 

  


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