2010年08月10日

鯉釣り名人

 私は「すっきゃ加古川」というNPOに所属しています。
 約5年前、加古川市長に、「民間のメンバーで行政では出来ないようなユニークな加古川事典を作って欲しい」との意向があり、その一人にたまたま選ばれてその事典を作りました。
 その時のメンバー8人ほどで作ったのが「すっきゃ加古川」です。
 今年市制60周年を記念してその事典を刷新することとなり、取材をしています。
 そんな中で、診療所の前の名人のお話をしましょう。

 前の名人は、昭和39年弟さんの鯉釣りに同行して55cmの鯉を釣ってやみつきとなった。
 それ以来、国道2号線加古川橋下流約300m通称赤大仏で
 産卵期の6月中旬からお盆までを除く約10ヶ月朝4時から日没まで22年間毎日釣り続け、
 そして昭和60年6月9日、40分以上の格闘の末、現在でも加古川では最長記録、91.8cm 12kgの鯉を釣りました。
 各新聞にも取り上げられ、その魚拓は加古川駅に飾られた。
 また、釣り専門雑誌の年間大物賞を獲得した。
 通算1000匹を目指していたが、25年間で、2番目寸が昭和63年1月24日の90.1cm(10.3kg)、
 80cm以上17尾、延べ935匹!
 釣りをやめた理由がたまりません。
 その理由とは「平成元年に初孫が出来て、そのお守が楽しくて釣りをあきらめた。」
 延べ935匹にびっくりですが、さらにびっくりが、
 それは、カウントしているのは全て50cm以上です。「50cm未満は1本には入らない」とか。

 私は、この名人の影響を若い頃に受けていて、名人には足元にも及びませんが、凝り性になりました。
 鯉釣りは結婚したての頃にせめて1匹50cm以上をと、10ヶ月かかって63cmを釣りましたが、これは辛いと1匹で断念。
 テキアツ君が生まれたのは、3年構想2年製品化で5年かかりましたが、この名人の事を知っていたからかもしれません。

    




Posted by 中原歯科医院 院長 at 16:36