2011年07月13日

日露戦争の原因①

 日露戦争の原因について興味のある方は少ないでしょうが、頑張って作った力作なので、分割してアップします。

 日露戦争は、1904年(明治37年)2月8日~1905年(明治38年)9月5日、大日本帝国とロシア帝国との間で朝鮮半島と満洲南部を主戦場として発生した戦争である。両国はアメリカ合衆国の仲介の下で終戦交渉に臨み、1905年9月5日に締結されたポーツマス条約により講和した。
 日本の勝利となったこの戦争は、「黄色人種が白色人種に初めて勝った戦争」であり、日本の世界的な評価を高め、ロシア帝国に支配されていた国々からは絶賛を浴び、その後、当時の日本の本意ではないが、世界的な帝国主義・植民地時代に独立運動を引き起こしていくこととなる。
 一方、日本は列強の仲間入りを果たしつつも、第2次世界大戦・太平洋戦争へ突き進み
現在に至っても、決して自立国と言えないほどの長い敗戦時代を余儀なくさせられることとなる。
 両国の目的と動機の概略は、大日本帝国は三国干渉および義和団の乱後満洲を勢力圏としていたロシア帝国による朝鮮半島への南下(朝鮮支配)を防ぎ、日本の安全保障と半島での権益を確保することを目的とし、ロシア帝国は遼東半島の旅順、大連租借権等の確保と満洲および朝鮮における自国権益の維持・拡大を目的とした。



Posted by 中原歯科医院 院長 at 10:48