2011年07月16日

日露戦争の原因④

 ロシアは露清密約を結び、日本が手放した遼東半島の南端に位置する旅順・大連を1898年に租借し、旅順に太平洋艦隊の基地を造るなど、満洲への進出を押し進めていった。
 1900年に、列強の中国侵略の深まりに中国民衆の大規模な抵抗運動である義和団の乱(義和団事変、義和団事件、北清事変)が勃発した。これには、ドイツ、ロシア、アメリカ、フランス、イギリス、イタリア、オーストリア、日本などが連合軍を組織して鎮圧にあたった。(清の皇帝徳宗と西太后は西安に逃れた)
ロシアは、その混乱収拾のため満洲へ侵攻し、全土を占領下に置いた。ロシアは満洲の植民地化を既定事実化しようとしたが、日英米がこれに抗議しロシアは撤兵を約束した。ところがロシアは履行期限を過ぎても撤退を行わず駐留軍の増強を図った。ロシアは大韓帝国の親露支配者級の高宗を通じ売り払われた鍾城・鏡源の鉱山採掘権や朝鮮北部の森林伐採権、関税権などの国家基盤を取得し朝鮮半島での影響力を増していた。
日本にとって、朝鮮の支配することは、内地防衛の要所を押さえることと北方へ進出するための足がかりとなり最重要案件であった。
ロシアの南下が自国の権益と衝突するとボーア戦争を終了させるのに戦費を調達したため国力が低下してアジアに大きな国力を注げない状況であったイギリスは、危機感を募らせ、1902年に長年墨守していた孤立政策(栄光ある孤立)を捨て、日本との同盟に踏み切った(日英同盟)。



Posted by 中原歯科医院 院長 at 09:00