2012年11月13日
東洋哲学入門② 東洋哲学と西洋哲学
東洋哲学は、何十冊の本を読みつくしても、結局その理解不可能性が分かるだけである。
東洋哲学は、「学ぶ」ことでは、決して理解に達することができないものである。
西洋哲学は、紀元前500年ごろ、タレスもしくはソクラテスから始まったとされ、本質的に「無知」を前提とする。
「いま生きている世界とは何か」「絶対に正しいものは存在するのか」など本当のこと(真理)を人生をかけて
追及していくもので、その思索の末に出来上がったものが西洋哲学であり、階段型である。
東洋哲学は、無知を前提にするのではなく、
「我は真理を知り得たり、悟った。究極に達した」と「ゴール(真理)した」ところから始まるのである。
ただ、実際問題として後世の人間たちは現実にそぐわないことは、「自分たちの解釈が間違っている」と
考え、「新しい解釈し方」を作り出し、体系を発展させていく。これが、宗派となっていくのである。
これは、ピラミッド型である。
東洋哲学とは、実際にその境地に達し体得して初めて分かるものであって言葉だけを学んでも本当のことは
分からない。
つまり、釈迦や老子と同じ境地に達して「はい、私も真理がわかりました」といえるようになった時のみ
「東洋哲学を理解した」と言えるのである。
東洋哲学は、「学ぶ」ことでは、決して理解に達することができないものである。
西洋哲学は、紀元前500年ごろ、タレスもしくはソクラテスから始まったとされ、本質的に「無知」を前提とする。
「いま生きている世界とは何か」「絶対に正しいものは存在するのか」など本当のこと(真理)を人生をかけて
追及していくもので、その思索の末に出来上がったものが西洋哲学であり、階段型である。
東洋哲学は、無知を前提にするのではなく、
「我は真理を知り得たり、悟った。究極に達した」と「ゴール(真理)した」ところから始まるのである。
ただ、実際問題として後世の人間たちは現実にそぐわないことは、「自分たちの解釈が間違っている」と
考え、「新しい解釈し方」を作り出し、体系を発展させていく。これが、宗派となっていくのである。
これは、ピラミッド型である。
東洋哲学とは、実際にその境地に達し体得して初めて分かるものであって言葉だけを学んでも本当のことは
分からない。
つまり、釈迦や老子と同じ境地に達して「はい、私も真理がわかりました」といえるようになった時のみ
「東洋哲学を理解した」と言えるのである。
Posted by 中原歯科医院 院長 at
07:13